住吉教会で活躍された神父様方

住吉教会で活躍された神父様方を紹介します。

アルフレッド・メルシェ神父

メルシェ神父

1905.2.19 フランスに生まれる
1930.3.15 叙階
1930.10  来日
1935.5~1937.12 住吉教会主任(初代)
1956.10~1960.12 住吉教会主任(9代)
1977.8.22 帰天

住吉教会の信者の大部分の方々は、告解をしばしば致しません。もし、自分の罪を告解したら司祭はどう思うのでしょうか。まず、司祭は誰が告解場にいるか知ろうとしないのです。そしてどんな告白がきても驚きもいたしません。なぜなら10年、20年、30年、と同じような告白を聞いているからです。あなた方は誘惑の多い位置に身をおき、罪を完全に承諾して犯したのではないだろうと考え、かえってあなた方が再び神に一致しようとしてやってきた勇気を称えるものです。(1960.12 「すみよし」 クリスマス号 メルシェ神父・文より)

ヨゼフ・デーラー神父

デーラー神父

1906.4.2 フランスに生まれる
1930.12.20 叙階
1937.10~1938.3 住吉教会主任(2代)
1943.3~1950.6 住吉教会主任(6代)
1954.6~1956.10 住吉教会主任(8代)
1979.8.18 帰天

デーラーしんぷさまは、ぽちゃぽちゃと膨れていて、いつもにこにこしていらっしゃる。まるで天使のようだ。かおを見るとにっこりわらってくれる。それから、なんといってもデーラーしんぷさまのくつはでっかい。住吉教会でいちばん大きいくつをはいているのは、デーラーしんぷさまだ。ごミサのすんだあとで、わすれものをしたのでおみどうに入っていくとしんぷさまがいすにすわって、おいのりしていた。(1963.4 「すみよし」 復活祭号 子供のページより)

アンリー・モラ神父

アンリー・モラ神父

1911.3.10 フランスに生まれる
1934.7.2 叙階
1936.10 来日
1938.3~1939.9 住吉教会主任(3代)
1975.12.28 帰天

私が神戸港に着いた時、日本海軍の大観艦式が行われていて、船は沖合いで丸一日止められました。上陸し、天皇陛下を見たいと思って神戸の街に立っていると、警官が、見ちゃいかん、頭を下げて、もっと下げて、と云うのですぐ前の道を通られるのかと思っていたら、はるか一丁(約100メートル)ほどの先の道をスッと行ってしまわれました。その時、日本はなんて変わったところだろうと思いました。後でわかったことですが、日中戦争が始まろうとしていた頃ですから無理もないと思いました。しかし、日本の大艦隊が神戸の沖で一斉にイルミネーションを点じた光景は壮観でした。(1961.10 「すみよし」 第22号 モラ神父談より)

ヨゼフ・ピロー神父

ヨゼフ・ピロー神父

1867.7.16 フランスに生まれる
1890.3.1 叙階
1890.6 来日
1939.9~1941.2 住吉教会主任(4代)
1941.2~1950.11 住吉教会助任(カスタニエ司教
            主任司祭として着任の為)
1950・11.9 住吉教会にて帰天

空襲の最中にピロー神父が行方不明になったことがありました。皆で探しても見つからないので、これはやられたかな、と思いかけた時、ヒョイと見ると伝道館の石段に所に腰を下ろしてキョトンとしているんです。とんで行って呼びかけても神父さんは、コンタツ(ロザリオ)をくって無関心の様子で全く恐れていないんですよ。そしてただ一言だけ「大丈夫」といって皆の方を向きました。
(1962.8 「すみよし」 被昇天号 デーラー神父談話より)

ヨハネ・バプチスタ・カスタニエ司教

ヨハネ・バプチスタ・カスタニエ司教

1877.1.7 フランスに生まれる
1899.9.23 司祭叙階
1900.1 来日
1918.8.29 司教叙階
1941.2~1943.3 住吉教会主任(司祭として着任)(5代)
1943.3.12 帰天

昭和16年、日本が戦時体制になって、大阪教区を田口枢機卿に譲られカスタニエ司教が住吉教会の主任として移って来られた。カスタニエ司教はパリ外国人宣教会の精神に徹し、在日43年間に多くの日本人司祭を養成し数多くの教会をたて、最後は惜しみなく司教の座を日本人にゆずって、満足した表情で住吉にてその生涯を終えられた。(1968.4 「すみよし」 第48号より)

モーリス・ジュセン神父

モーリス・ジュセン神父

1889.6.7 フランスに生まれる
1929.6.29 叙階
1929.10 来日
1950.6~1951.1 住吉教会主任(7代)

戦争の苦しい時代の後、住吉に移った私は、毎晩のように司祭館の2階からもといた教会のある大阪湾のある向こう岸の電灯を眺めて、楽園から追い出されたアダムとエワのような気持ちでいましたが、その寂しさも長く続きませんでした。子供たちの顔や信者さんの名前を覚えていくにつれ、親切で心の優しい皆さんの家族的な雰囲気になれて楽しくなりました。私が勤めた1年間は、休暇でフランスに帰られたデーラー神父様の留守を預かる事とピロー神父様をお守りする事でした。日本でも暮らしも56年になり、故国を懐かしく思う事はありますが、宣教師として日本に来た事に悔いはありません。
(1984.12 ジュセン神父・談話より)

ロジェ・ベロー神父

ロージェ・ベロー神父

1925.1.5 フランスに生まれる
1949.5.29 叙階
1949.12 来日
1951.1~1961.1 住吉教会助任
1961.1~1968.4 住吉教会主任(10代)

住吉教会の歩みのうちの18年間はベロー神父と共にあった。その初期は日本の戦後復興期にあたり、都市計画による用地削減、焼失した聖堂の替わりに伝道場を改装した仮聖堂を台風で破壊されるなど難題が山積していた。しかし、自然のもたらした仮聖堂の破壊は、幼稚園設立への動きとなり、ベロー神父は自ら「星の園」と命名し、その創立者となった。若さと燃える情熱に任せた宣教活動は、戦後の渇いた人々の心にうるおいを与え、希望の灯りをともした。ベロー神父は、当時を懐かしみながらこう語られた事がある。「住吉は私の初恋でした。」と。(1985 「50周年記念誌」より)

ミッシェル・コーナン神父

ミッシェル・コーナン神父

1934.8.9 フランスに生まれる
1960.12.21 叙階
1962.11 来日
1962.11~1964.11 住吉教会助任
1969.11~1974.4 住吉教会助任

コーナン神父様の在任中の一年余、日本のカトリック界は、第2バチカン公会議の影響を受けて大きく動き、新時代になった形態をつくる為に、各方面に色々の変革が行われました。神父様は、新しい構想をミサにも取り入れられ、典礼を私たちの身近なものにする為の努力を惜しまれませんでした。フランスの一青年として軍務に就かれ、北アフリカのアルジェリア戦争に従軍され、熱い砂漠の戦場で毎日繰り返される、生か死かの極限に立たされて、人間のむき出しの感情を見たことが司祭職を選ぶ直接の動機となったそうです。
(1971.4 「すみよし」 復活祭号より)

池田 実神父

池田 実神父

1909.12.25 舞鶴に生まれる
1938.3.21 叙階
1968.4~1971.3 住吉教会主任(11代)
2004.9.25 帰天

パリミッション会に33年間の長い年月お世話になりました住吉教会が独り立ちすることになり、初代邦人主任司祭としてお迎えした池田神父様に私たちは発言に自由を得た開放感と教会のためにという気負いから思うがままの発言をさせて頂きました。神父様もさぞ困られた事でしょう。「石の上にも3年」とやらでその陣痛の苦しみも終わったのか、教会も次第に落ち着いてきました。
(1971.4 「すみよし」 復活祭号より)

赤窄 富男神父

赤窄 富男神父

1940.5.17 長崎、五島に生まれる
19967.7 叙階
1968.5~1969.9 住吉教会助任

赤窄神父様は五島の福江島に12人兄弟の第三子として生まれ、洗礼の代父から、フランシスコ・ザビエルの霊名をいただき、東洋の使徒、ザビエルの名にあやかって日本の使徒たるべく、長崎の小神学校に入学され、以来まっすぐ司祭職への階段を昇られて、昭和42年北浜教会にて叙階された。妹さんが2人。修道会のシスターとして働いておられる。師は十字架にのぼられたキリストの弟子として「喜ぶ者と共に喜び、泣く人共に泣く」民衆の中に地味に生きて行かれる司祭のようである。(1968.8 「すみよし」 被昇天号 堤神父談話より)

飯島 幸一神父

飯島 幸一神父

1919. 東京に生まれる
1952.12 叙階
1971.4~1975.7 住吉教会主任(12代)

60年安保に始まり、ベトナム戦争が激化し、日本各地で大学紛争の騒乱が繰り返されていた時代を背景に、住吉で展開された飯島神父在任の4年間は、時代の波をかぶって司祭と信徒が新しい道を模索していた時代であることが、教会の季刊誌「すみよし」の記録からも伺える。戦後民主主義という言葉の意味がもっとも問い直された時代を、大正生まれの気骨と持ち前の江戸っ子気質で生き抜いた飯島神父は、7月のある朝、司祭館の2階自室で、人知れず主のみもとに召されていった。(1985. 「50周年記念誌」より)